イイ場所発見しよう 2

襟裳岬から庶野にむかう途中、アアツ川まで約10km余続く砂浜海岸が通称百人浜です。


この名称は昔、南部藩の御用船がしけで遭難し、この浜に打ち上げられた100人余の乗組員が寒さと飢えで死んだという事件に由来するというのが一般的であるが、1669(寛文9)年のシャクシャインの戦いの際に、金掘人100人が松前藩により処刑されたためという説もあります。


襟裳岬からバスで8分、百人浜バス停で降りる。


バス停の左手前方の道道沿いに、1806(文化3)年に100人の霊の供養のため村人たちが一石に一字ずつ経文を書き、様似等樹院の初代住職秀暁が建立したといわれる一石一字塔が立っています。


塔の近くに悲恋沼があり、北側にはオート・キャンプ場があります。

イイ場所発見しよう 1

百人浜と一石一字塔について。


様似駅からバスで30分ほどでえりも町の本町市街、さらに20分ほどで日高山脈の先端が太平洋に沈み込んでいる所、襟裳岬に着く。


岬の先端には大小の岩礁群が2kmほど続き、さらに南東185km先の海中にある襟裳海山にまで続いています。


岬周辺は風速10m以上の風の強い日が年間に290日を超えるといい、また寒流と暖流の交錯による霧も発生しやすく、年間霧日数も100日を超える。


こうしたなかでゼニガタアザラシが200頭近く岬の岩礁帯に生息し、環太平洋の南限となっています。

人生の種 その11

グレン・レーラーのおはなし・・・その10(=゚ω゚)ノ

「私は自分ひとりのために芸術に取り組んでいるわけではありません。

私は多少自分なりの工夫をほどこすことで、世の中に美をつくりだしているのです。

美は人生の精神的原理のひとつです」

「この仕事の伝統技術は誰からも教わっていません。

すべて独学でやってきました。

でも、技術はとことんまで追い求めましたね。

独学だったので数多くの失敗もしでかしてきました。

でも、多くの失敗を重ねて、やっと自分の未熟さに気づけるのです。

自分の欠点に気づけば、あとはそこから立ち直り、挽回していくことが可能です」

「地球はすでに変化しています。

私も同じように変化しています。

自分が創造したものに対する喜びが、自分を支える力となり、この世の中で与えられた自分の役割を果たすための原動力ともなっているのです」

人生の種 その10

グレン・レーラーのおはなし・・・その9(=゚ω゚)ノ

「水晶は、時間と空間を凝縮して自然がつくりだした最高傑作です。

自然が均整と完壁さを求めていることはこの水晶を見ればわかるはずです。

人生の目的も水晶と同様、均整と美を求める好奇心と想像力から生まれてきます。

均整を求める過程で、あなたの魂は素晴らしい状態に到達することができます。

この状態に達すると、人生は洗練され、目標もすんなり達成できるようになります。

何か新しいものを創造するとき、人生は輝きを増していくものです。

あなたもいまから二十年もたてば、私の言っていることが真実だと理解できるようになるでしょう」

人生の種 その9

グレン・レーラーのおはなし・・・その8(=゚ω゚)ノ

「すべてのことを理解できるようには絶対にならないことを、肝に銘じておくことです。

でも、それは敗北という意味ではありません。

好奇心や新しいアイデアを探求しているかぎり、生き生きしていることができます。

学ぶのをやめた瞬間、成長は止まってしまうのです。

人間には人生で完壁な状況を見つけだせるだけのエネルギーが備わっています。

完壁な状態に到達することは無理でも、あなたのDNAは自分が完全燃焼できる目的を探しているのです。

それが自然の法則なのです。

地球が実らせた果実のような水晶も、まさにこの法則に従っていますね」

人生の種 その8

グレン・レーラーのおはなし・・・その7(=゚ω゚)ノ

「人生の目的を追い求めるのは必ずしもたやすいことではありません。

まったくうまくいかず、百科事典のセールスマンやレストランのウェイターをしていたこともあります。

どうすればいいのか途方に暮れたこともありますね。

自分の努力がまるで報われていないと思ったことだってあります。

でもそういうときは、自分がこの世界に踏み込んだときの原点に立ち返り、それまでの自分の生き方を振り返ってみる必要があります」

「人生の目的が見つからないときは、自分が興味を抱くことをすべてやってみるよう、人に勧めています。

楽しむことが大事なんです。

そんなことをやって何になるのかとか、お金もうけにつながるだろうかなどと考えてはいけません。

情熱に素直に従うことで、自分がどの方向に向かおうとしているのか確認することです」

人生の種 その7

グレン・レーラーのおはなし・・・その6(=゚ω゚)ノ

「ある日、石英でできた水晶を兄から贈られました。

渡された瞬間、心のなかで何かがパチンとはじける音がしました。

自分が夢中になれる対象が見つかったからです。

原石のカッティングや宝石についての基礎知識は皆無でした。

金細工、油絵、グラフィック、写真に手を染めたことはありましたが、この水晶を見て、ほかの芸術手段では刺激されることのなかった何かをそこに感じたのです。

あれから二十年の歳月が流れましたが、相変わらず新しいアイデアが次々と頭のなかに浮かんできます。

宝石原石のカッティングは、自分がもっているすべての要素の集大成であり、私をそれまでとは違う段階へと導いてくれました」

人生の種 その6

グレン・レーラーのおはなし・・・その5(=゚ω゚)ノ

「インドを離れてカリフォルニアに戻ったときは、アジアに滞在していたときよりも大きなカルチャーショックを受けました。

もう記憶から薄れていたアメリカ流の考えを次々に突きつけられたのです

から。

飛行機を降り、この国の商業主義を目にして、ただただ圧倒されるばかりでした。

アメリカの文化に慣れて、なんとか暮らしていけるようになるのには、一年半もかかりました」

人生の種 その5

グレン・レーラーのおはなし・・・その4(=゚ω゚)ノ

「その後、南インドの小さな僧院で、数カ月間、瞑想しながら暮らしました。

将来の目的などまったく思いつきもしませんでした。

探すつもりもありませんでしたね。

毎日、身の回りに起こるシンクロニシティを追跡していただけです。

現在、芸術家としてやっていることも、直感や自然の流れに身を任せるという点で、この時期の延長のようなものですけど・・・」

人生の種 その4

グレン・レーラーのおはなし・・・その3(=゚ω゚)ノ

「二十歳の私は、地球を半周してアフガニスタンという、アメリカとはまったく異なる文化の地で過ごしていました。

この国の文化が私の心を開いてくれたのです。

ここに住む人たちは、頭ではなく心で多くのことを語っています。

毎日食べていくのさえやっとなのに、アフガニスタンの人々は喜びに満ちあふれていました。

カリフォルニアでは絶対に味わえない喜びに満ちた空気が漂っていたのです。

この土地の人々の世界観は、自分とはまるで違っていました。

そのことに、すごいカルチャーショックを受けました」