飛行機の初飛行

・・・ライト兄弟による飛行機の初飛行は1903年。


その飛行機はジェット化でプロペラを捨て、さらにロケットエンジンを得て宇宙へ飛ぶことになったが、クルマにはそれに匹敵する大変化はなかったのです。


しかし、もし100年にわたって動力源としてきた内燃機関を捨てるとなれば、それは大きな変化です。


これはきっとクルマのスタイルに大変革をもたらすのではないか。


クルマ好きにとって、そのスタイルは最大の興味です。


クルマはそのスタイルと無関係に語れません。

大量生産システム

クルマ好きの人はご存知かもしれません。


ヘンリー・フォードの作った大量生産システムは20世紀の枠組みを作ったとさえいわれる。


文学にもクルマはたびたび登場します。


スタインベックの『怒りの葡萄』は、クルマに乗ったアメリカ人の新しい西部への開拓物語であったし、ヨーロッパでも多くの作家がクルマをテーマにした書物を著しています。


クルマは20世紀の重要な文化となって、あらゆる分野に影響をあたえたのでした。


クルマはその発明から100年後の現在、石油資源の枯渇、そしてCO2による大気温暖化問題によって、その原動力の形態を大きく変えようとしています。


その本命は水素と酸素の反応によって起きる電気でクルマを走らせるフユーエルセル(燃料電池)方式といわれており、2004年あたりから走りはじめるようです。

自分の未来について

占いについて少し考えていたいと思います。

自分の未来について占い師が話し出すのをためらい、ちょっと考え込むような仕草をしただけで、「なにか悪いことがあるのかしら?」と思いたくなります。

「ちょっとこのあたりが気になりますが、まあ大丈夫でしょう」という程度の表現でも、「言わないだけでなにかあるのかもしれない」と思い、「もしかしたらあのことかもしれない」と、思い当たる事実を勝手に当てはめてみたりしませんか?その勝手に繰り広げる想像が、あなたの意識に入り込み、毎日考え続けたりすれば、あなたの意識は本当にそれが起こるような錯覚をします。

そして、それにふさわしい現実が起こっていくのです。

この現象をとらえて「やっぱり悪いことが本当になった」と言うことはできますが、これはあなたが「そうなる」と思い込んでいる意識の力が大きく影響しています。

★運を知りたい方へ>>電話での占いはココ

アラビア半島では・・・3


現地に海外赴任した日本人ビジネスマンの例を二つ紹介しよう。


ある日本人男性は、現地で催されたあるパーティで、サウジアラビアのビジネスマンの妻を紹介された。


翌日、その夫人に街でばったり会ったので、あいさつをしたところ、たちまち宗教警察によって逮捕されてしまったというのです。


また、別の日本人男性はサウジアラビアの男性と会話を交わしている最中に、日本で慣用句となっている「あなたの奥さんは素敵な人ですね」といったところ、相手の男性が顔色を変え、怒り始めたという経験をした。


日本人からすると、あくまでもお世辞のつもりだったのだが、サウジアラビアではこれも禁句。


というのは、他人の妻を誉めることは「あなたの奥さんをください」と頼んだことを意味するからです。


厳しい戒律が敷かれている国だから、当然処罰も厳しい。


姦通罪の場合、石打ちの刑がいまでもおこなわれています。


セクハラやナンパ、ましてやホスト商売など決して成り立たない国。


だからこそ、女性と街で会話を交わさないことを、常識にしなければならない。


アラビア半島では・・・2


ワハブ派は、毎日の生活を厳しく拘束するイスラム法の一つであるシャリーア法を信奉しているため、サウジアラビアに暮らす人々の日常生活にも大きな影響を与えています。


とくに女性は全身のボディラインが浮かび上がる服装は絶対禁止。


胸元が見える洋服やヒップラインが浮き上がるパンタロン姿も厳禁です。


これを知らず、タンクトップやノーブラで街を歩いていて、逮捕された欧米人女性の例もあるほどです。


さらに、顔も男性に見られないよう隠すことが常識。


運転免許をもつことも許されず、事実上教師と看護婦として以外、外で働くことさえ許されていません。


いってみれば、家の中でジッとしていて、家庭を守ることが義務づけられているのです。


そんな国だから、男性も女性へ気軽に声をかけるのは御法度になります。


たとえナンパ目的などの下心がなかったとしても、男性が女性に声をかけただけでアウトなのです。


アラビア半島では・・・1


アラビア半島では女性に声をかけるべからず。


イスラム圏の国々では、友人や知人に会ったときや電話で話す際、相手の家族の近況をたずねるのが常識となっていることは既に紹介したとおりです。


このマナーが、イスラム教国家すべてに通用するかというとさにあらず。


話しかける相手によっては、逮捕監禁につながることもあるというから恐ろしい。


それがアラビア半島の大部分を占める国、サウジアラビアです。


世界最大級の石油とガスの埋蔵量で有名なサウジアラビアは、同時にイスラム教の聖地メディナとメッカを擁する。


毎年200万人を超すイスラム教徒たちが、巡礼(ハッジュといわれる)に訪れる、もうバリバリのイスラム教の中心に位置する国なのだ。


もう少し詳しく紹介すると、サウジアラビアの人々の多くは、イスラム教のスンニ派の中でも厳格な解釈をするワハブ派に属しています。


昔のインテリアのお話 4

ルイ13世の時代に洗練されたルネッサンス様式が完成しました。


カクトワール(おしゃべり)の椅子とよばれる婦人の社交用の肘掛け椅子や、彫刻と豪華なつづれ織りによって飾られた四柱式ベッド、二つ重ねの衣裳戸棚などがあります。


イギリスの貴族の大邸宅は、一階にホールとダイニングルーム、二階には社交場としてロングギャラリーをプランするのが特徴でした。


室内は彫刻をした飾り棚つき暖炉を中心に、豪華な雰囲気をつくり、家具装飾には人物や動物の彫刻、透かし彫り、メロン形とよばれる脚が用いられていました。


ファジンゲールチェアは、広いスカートをつけた婦人用の椅子です。


また、カップボードやダイニングテーブル、テーブルと長椅子を組み合わせたセッツルなどがあります。

昔のインテリアのお話 3

ルネッサンス(15世紀~16世紀)。


ルネッサンスは、キリスト教会と封建領主の支配体制から脱した近代生活を目指し、文化の面ばかりではなく、政治、経済、生活様式など、人間を尊重したギリシアやローマの古典文化復興を目指して展開された改革運動時代です。


イタリアのフィレンツェを中心に始まり、富豪や貴族たちが、文化・芸術・建築などに理解のあるパトロンとして推進力となって、パラッツォとよぶ古典建築様式を取り入れた大邸宅などを建築し、華やかな社交生活をしていました。


室内は大理石、フレスコ画、象眼などの豪華な装飾をしていました。


家具は建築を縮小したものと考えられ、彫刻や象眼の発達と、つづれ織りやビロードなど高級織物の生産が装飾に影響を与えました。

この様式は十五世紀後期にフランス、十六世紀前期にドイツ、十六世紀後期にイギリスへと移入され、それぞれの国の文化や民族性、生活様式などと融合しながら発展していきました。


イタリアでは、つづれ織りやビロードの壁掛け、じゅうたんの使用、ビロードの椅子張り、壁鏡などを用い、シンメトリーに家具の配置がなされていました。


フランスでは、イタリアの芸術家たちの協力を得て、フォンテンブロー宮や、ルーブル宮を建造し、華麗な室内装飾が施され、王侯、貴族の高度な趣味や生活に合うような家具が求められました。


家具装飾のモチーフには渦巻き模様、人物像の飾り柱、花輪、貝殼などを使った彫刻装飾がされていました。

昔のインテリアのお話 2

ゴシック(13世紀~16世紀)。


北フランスの教会建築から発展した様式で全ヨーロッパに普及していきました。


ゴシックといいますと、高くそびえたつ大教会堂を思い浮かべるように、リブボールト、尖頭アーチなど細長い十字型を基本とした垂直線を強調、ステンドグラスを使っています。


代表的な建物に、パリのノートルダム寺院やケルンの本寺院などがあります。


社会の秩序がいちおう安定しているため、生活の向上や安楽な生活へ目を向け、広場が生活の中心となり、キッチン、トイレが設けられています。


ギルド組織も生まれ、家具の種類も増え、製作技術の飛躍もあって、権(かまち)組み構造の大きな家具ができるようになりました。


全面彫刻で装飾され、精巧をきわめたものです。


チェストに腰掛ける形式のものが多く見られ、カップボード、ドレッサー、天蓋つき大型ベッドでプライバシーを保つというように新しい家具がでてきました。

昔のインテリアのお話 1

ローマ帝国は衰退後、東西ローマに分かれ、それぞれの文化圏をつくり発展させていきますが、古代の社会と芸術の伝統は失われ、身分制度による封建社会とキリスト教による文化が普及発展します。


★ビザンティン(4世紀~15世紀)
東ローマ帝国の都であるコンスタンティノープルを中心として15世紀まで続いた文化であり、キリスト教の神秘さと厳格さを華麗な色彩とモザイク画で表現しています。


家具は堅苦しい直線的なものが多く、支配階級の王座は重量感があり象眼装飾がされていました。


マキシミニァヌスの王座は権威の貴座としてはビザンテイン様式の代表です。


ベッドはローマと同じで足台が備えてあり、ベッドに横になって食事をとっていました。


ロマネスク(11世紀~12世紀)は、ローマ、ビザンティンの影響を受けた建築様式であり、多くの石造の城郭建築が建造されています。


領主や教会の勢力が強力であったため、文化の中心であった教会や修道院を厚い壁、太い柱、アーチ、水平線で強調し建造しています。


家具の種類は少なく、城郭建築様式の模倣といわれ、椅子やベッドにアーケード手法が使われています。